『弘前ねぷた速報ガイド』と私

『弘前ねぷた
速報ガイド』
と私

この夏も、ねぷたの雑誌を刊行できた。通巻37号になる。
29歳のときに、高校の同級生で、ねぷた絵を描いていた斎藤北明君たちから、一緒にねぷたを出さないか、と誘われた。結婚したばかりの俺は、その頃は津軽書房にいて、自費出版物の編集や、県内、岩手などの営業をしていた。その後ラグノオささきに移り、喫茶店の店長や、社長の意向で始めたフリーペーパーの編集などをした。

35歳になったとき、残りの人生はどうなるのかを考えていた。まあ残り35年、いまが人生の折り返し地点かな…。残された人生、そうだ俺はやはり出版事業をしていきたい。色々トラブルもあったが、妻に頭を下げて、また本造りをやりたいと言い、許しを乞うた。こうして、不安定な生活が保障されている、地を這うような路上社の暮らしが始まった。

毎年、ねぷたに参加していたが、なぬか日が過ぎると、他の団体のねぷたかどんなだったかも定かではなく、全てが溶け去っている。ねぷたを愛するみんなも、これで良いのか…。ある時閃いた。

「弘前で出版に関わっている俺が、この祭りを記録し残さなくてどうする!ねぷた絵などを記録し、参加者、愛好者が保存できる雑誌を作ろう!」

1983(昭和58)年、路上社2 年目に創刊号を発行。 徒手空拳の作業である。当初はB5判80ペー ジ、モノクロ、3 0 0 円。資金が無いのだから、広告協力者の存在は大きい。当初、撮影はプロ2人。各ねぷた小屋を廻って出来上がったねぷたを撮影させてもらい、DPEは徹夜の作業。印刷・製本所も頑張ってくれて、8月3日に発売。それが精一杯だった。幸い好評を博した。3年目からは参加ねぷたを完全収録し、初日に発売できた。

「よくこうも早くできるもんだ。 だけどこれがカラ ーだったらなあ…」

ねぷた団体に配本すると、 こう言う声が…。2003(平成15)年、全面カラー化が実現。その後、A5判800円になった。本誌から絵をまねる少年絵師たちが、多数発生している。若手の存在が、祭りの未来を明るくする。「まだか、早く見たい!」毎年、発行前からの声が、本誌の推進力だ。

配本が終わった後、いまも俺は、ねぷた衣装に着替えて参加している。

2019年夏
路上社 代表 安田 俊夫